2007年
第12回入賞作品
佳作
「ピアノ」 伊藤 靖則(47歳 男性)
20年ほど前、ピアノ専門の運送会社で配送助手をしていた。ある年の、クリスマスイブの出来事である。
年末ではあったが、配達件数はそんなに多くなかった。運転手と私は出車前に伝票を確認し、何とか夕方6時前には上がれそうだと予想し合った。8時から始まる行きつけの飲み屋でのパーティーには、間に合いそうだ。
伝票の中に、付箋紙の付いたものがあった。「おじいさんからお孫さんへの、クリスマスプレゼントだそうです。お孫さんが帰宅する夕方以降に、配達してあげて下さい」。そこには、事務員からのこんな指示が書かれてあった。
送り先は、市街地からだいぶ離れた山深い所の住所だった。本当なら、なるべく早く済ませてしまいたい。が、付箋紙の指示の通り、最後に組み込むことにした。
拍子抜けするくらい、仕事は順調に進んだ。午後4時過ぎ、最後の1件となった例の山村へ向け、我々はトラックを走らせた。
どんどん、人気のない方へ進んでゆく。地図と住所を照らし合わせると、目指す家は周囲にほとんど人気がないような所にあるものと思われた。
いつしか林道となり、やがて本格的な山道になった。トラックがぎりぎり通れるくらいの、細く曲がりくねった道だ。しかし目的地は、まだまだ遠い。
冬の日は瞬く間に暮れ、いつの間にか辺りは闇に覆われていた。ベテラン運転手の顔にも、緊張の色が走り始める。目指す家は、まだ現れない。
突然、行き止まりとなってしまった。地図を、読み違えたらしい。ナビゲーションは、助手の役目だ。運転手から、強く叱責された。
車内を、険悪なムードが漂い始めた。その後も何度か、私は道の選択を誤った。頭が混乱し、冷静な判断ができなくなっていた。
おまえには任せておけぬと、運転手は自ら地図を見て道を探し始めた。が、彼も何度も間違えた。時間は刻々と過ぎ、燃料は残り少なくなってゆき、さらに悪いことに雪がちらつきだした。
こんな場合は、配達先へ電話するか、あるいは通行人や道沿いの家の人に案内を請うのが最も手っ取り早い。しかし、通行人はおろか家屋も公衆電話も、全くない山中なのだ。操れるのは、自分たちだけだ。
あきらめて、帰ってしまおうか。明日、明るいうちに出直してくれば良いではないか。このままでは時間ばかり過ぎ、やがて燃料切れで我々はこの山中に……。そんな思いも、何度か浮かんだ。
しかし付箋紙の言葉が、それを押しとどめた。クリスマスにピアノを贈るというのが、祖父と孫の間で前々から交わされていた約束なのだろう。2人が、さらには家族たちが、今か今かと待っているに違いない。一刻も早く、届けなければ。
いつしか、10時を過ぎていた。祈るような思いで、前方に目を凝らし続けた。やがて、降りしきる雪の彼方に小さな灯りが見えた。
呼び鈴を押す手が、震えていた。寒さも、あった。が、それ以上に、こんな時間になってしまって、相手はさぞ怒り心頭に発しているに違いないと思ったのだ。しかも、連絡もしないで。
玄関の扉が、内側から開いた。出てきたのは、「おじいさん」と思われる人だった。顔を見るより早く、私は絶叫するように詫び始めた。「たいへん遅くなって、すみません!ピアノの……」相手は、いたずらっぽく笑いながら唇に人さし指を当て、それを制した。そして家の中を振り返ると、大声で叫んだのである。
「おーい、サンタクロースが来たぞぉ!」