2006年
第11回入賞作品
佳作
「母から届いたハガキ」 佐々木 和泰(56歳 男性)
母は、広島の実家に一人で暮らしている。
「お母さん、今日は旅行に行っておられますか?」
夜の9時過ぎ、母の隣家の奥さんから電話が入った。夜になっても母の家に電気が点かないので、心配になって連絡をくれたのだ。
「何も聞いていませんけど、何かありました?」
そう告げると、不安そうな返事が返ってきた。嫌な予感がした。直ちに広島の伯母に電話を入れたが、聞いていないという。よもやと思い、念のため実家に電話を入れると耳を疑った。救急隊員が電話口に出てきたのだ。母は脳梗塞となり、二階の布団の上で倒れているところを発見されたのだ。
翌朝一番の新幹線で横浜から広島の病院に急行した。太陽のような母であった。その母のことを案じながら、新幹線の中で長い不安な時間を過ごした。脳梗塞は時間との戦いだ。早く発見されていれば、それだけ早く治療が出来たはずである。それを思うと母を一人にしていたことが悔やまれた。病院に到着すると、医者は既に必要な措置をし、幸いにも母は一命を取り留めることが出来た。しかし、右半身は不随となり、言葉も不自由となった。
兄弟三人でローテーションを組んで付き添い看護をすることにした。わたしは仕事のやリくりをしながら、頻繁に広島に帰るように努めた。容態が安定し始めたので、母のリハビリが開始されることになった。母はベッドの上に座ることさえ出来ないが、わたしや弟が傍にいるとリハビリに熱が入る。
最初に回複の兆しが見え始めたのは右脚だった。平行棒を使っての歩行練習で右脚が少しずつ動き始めた。次に右手と右腕の訓練を開始した。しかし、手や腕の神経は繊細で、元に戻るのはなかなか難しい。字を書くリハビリも左手で始めた。ところが、これが容易ではない。ましてや思っていることを書くことなど遠い夢である。
わたしも出来るだけ介護をしたいが、仕事の関係もあって横浜に戻らなければならない日がやって来る。横浜に帰る日、何気なく母と約束をした。
「今度横浜に帰ったら母さんにハガキ送るからね。母さんも早くハガキが書けるように、リハビリ頑張ろうね」
病室を出るときに、そう言いながら母の手を握って別れた。母は喋れないが、眼が合うだけで意思が通じるまで回復している。
母は入院しながらも来年の年賀状をどうしようかと心配するほどの便り好きだ。しかし、この様子だと、リハビリを頑張ったとしても字を書くことが出来るようになるのは相当先の話しだろう。
横浜に戻り、いつもと同じように夕方帰宅した。妻が嬉しそうな顔をして、わたしに一枚のハガキを渡してくれた。表書きは見たことのない筆跡である。ハガキを裏返して驚いた。たどたどしいが、ハガキ一面に「あ」「り」「が」「と」「う」「母」とあった。まぎれもなく母の字だ。
病室を出たときの母の手のぬくもりが、ハガキから直接伝わって来た。帰浜後、わたしは約束どおり母にハガキを送ったのだ。母はそのハガキを見ながら毎日リハビリにいそしんだのだろう。約束を守ろうとしてハガキに向かっている母の姿が目に浮かんだ。妻の顔を見ながら、わたしも嬉しくなって微笑んだ。わたしの方こそ、言わなければいけない。
ありがとう、母さん。
母は、その後、紆余曲折がありながらも、有難いことに車椅子に乗ることが出来るまでに回復した。今でもそのハガキは、わたしにとってかけがえのない宝物である。