2006年
第11回入賞作品
大賞
「空白の卒業文集」 鈴木 章広(20歳 男性)
私が通っていた中学校の野球部は、決して強豪校ではなかった。公立でもあったためか部活動には力を入れておらず、都内ベスト32が限界であった。といっても野球は好きだが部員ではないので、偉そうなことは言えない。その野球部の中に、一人だけ素人の私でもわかるダイヤの原石がいた。
彼とは小学校からの友人であり、野球部のエース投手でもある。彼の球の速さは当時最高で139キロでた。この速さは大リーグへ移籍した、松坂大輔の中学校時と同じである。そんなすごい逸材を高校野球が見逃すはずもなく、彼は推薦で甲子園常連の名門校へ進学した。私は彼のように上手くないが、将来野球の記事を書きたいと思うようになり記者を目指そうと決意した。
卒業式の日、クラスで友達の文集にメッセージを書きあう時間があった。その時彼には書いてくれと頼まれたが、私は自分の文集には彼のメッセージをあえて書いてもらわなかった。「いつかプロになった時に取材しに行くから、その時に書いてもらうよ」と私は彼と約束した。その時のために私は、文集の真ん中に空白を作った。
彼は高校では寮生活のため、中学卒業以降会う機会がなかった。しかし新聞やインターネットを使い、彼の活躍を毎日調べた。彼は1年生の中で唯一ベンチ入りをはたし、甲子園に出場した。3年時にはエース投手として活躍し、プロのスカウトも彼に注目していた。彼が着実に前に進む一方、私はつまずいていた。高校2年の夏に、父親が失業した。突然家庭の収入が0になり、私の学費どころか毎日の生活さえ考えなければいけなくなってしまった。しかし両親は「おまえは家庭の事は心配せず、自分のやりたいことをやれ」と言ってくれた。しかしこんな状況で学費が高い大学へ行って勉強したいとも言えず、私は記者を諦め高校卒業と同時に働こうと思った。
3年の春、進路について放課後担任の先生に呼び出された。この時の私の心は揺れていた。大学へ進学し記者になる為に勉強したいが、親や家庭に負担はかけたくない。このことを話すと、先生は私に作文用紙を渡し、「明日までにこの作文用紙に、自分の好きなことを書いて来なさい」と突然課題を出された。家に帰宅すると私は作文用紙とにらみ合いを続けた。何を書いていいかわからず、書くネタを見つけるために本棚を開くと中学の文集を見つけた。懐かしいと思って中を開くと、卒業式に書いてもらったみんなからのメッセージが書かれてあった。しかしページの中心部分だけは空白だった。そしてよく見ると、その空白の部分の下の方に「予約済み」と小さい字で書かれてあった。その字は中学の時に、プロの世界で再会すると約束した彼の字であった。彼からもらった唯一のメッセージを見て私は決心がついた。
次の日、私は何回も書き直し、汚くなった作文用紙を先生に提出した。今思うと段落も文体もめちゃくちゃで、誤字脱字も多く何が言いたいのかわからないような文章だったと思うのだが、先生は最後まで読んでくださった。読み終わった後「下手だけど、熱意は伝わったよ」と笑ってくれた。
そして今、大学で記者という目標にむかって勉強している。学費のほうは、祖父の援助やバイトの給料でなんとか払っている。あの時課題を出してくださった先生とは、今でも交流があり時々学校へ会いに行っている。先生が出してくださった課題があったからこそ、私は迷わず目標に向かうことができた。そして彼は高校卒業ではプロへ行かなかったが、彼の兄は今年巨人へ入団した。彼のほうは大学で野球を続けている。約束の再会まで二年、どちらかがだめだったらもっと時間がかかってしまうかもしれない。ただその時がくるまで、私の文集の空白は、永久にあけておくつもりだ。