第26回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2021年
第26回入賞作品

佳作

奪った命との約束 阿由葉 大輝(18歳 高校生)

 高校二年生の時、私は初めて自分の意志で他の命を奪った。その時、私は残酷さを感じると同時に、重要なことを忘れてしまっている自分に気が付いた。それは「感謝」という気持ちだった。
 私は幼いころから自然や動物が好きだった。特に自然の中で自由に暮らす動物たちに魅了されていた。しかし、すべての動物の命が自由なものであるとは限らない。動物の中には食べ物として生まれてくる動物もいる。この事実から目を背けるわけにはいかないと考えた中学三年生の私は、「畜産」という動物を生産する産業を学ぶために自分の進路を決定した。畜産の授業では多くのことを体験した。鶏を卵からかえし、病気に対するワクチン接種を行い、自分たちの手で鶏を一から育てた。授業で体験することすべてが初めての経験で、学ぶことだらけの授業であった。そして、多くのことを体験する中で、ついにこの日が来てしまった。動物を食肉にするために命を奪う屠殺実習だ。
 一羽ずつ鶏の命が失われていく中、私は一羽の鶏とともに屠殺の順番を待っていた。私が持っている鶏の前で他の鶏の命が終わっていく。この光景を見て私は、どのような感情で屠殺を行えばよいのだろう、とずっと考えていた。人が生活するには他の命をいただかなければならないからしょうがないと、割り切るべきなのか。それともかわいそうと考えるべきなのか。そして私たちの順番が回ってきたとき、その答えがようやくわかったのだ。自分たちはこの鶏たちの命をもらって生活している。可哀そうという表面上の感情だけでなく、「感謝」の気持ちを持たなければならない。確かに、他の命を犠牲にしなければいけないのは残酷なことである。しかし、それが命をもらっている側である私たち人間ができることなのではないかと考えた。
 日常生活では食に対する感謝を忘れてしまっていた。食べ物があるのが当たり前だと思い込み、他の命をいただいているという気持ちはほとんどなかった。そんな当たり前のことを忘れてしまっていた自分自身に恥じらいを感じた。しかし、この経験をしなければ、今後食に対する感謝を考えることはなかったであろう。これは、命をくれた鶏が、重要なことを思い出させるために私にくれたチャンスなのではないかと考えた。食べ物があるということを当たり前のことだと考えず、他の命をいただいているという「感謝」の気持ちを忘れないということを命をくれた一羽の鶏とこれからの自分に約束した。
 しかし、この当たり前のように思える約束を忘れてしまっているのは私だけではないのではないか。現在、日本では膨大な量の食品ロスが発生している。これは一人ひとりが食に対する感謝という基本的なことを忘れてしまっているからなのではないか。私も畜産という命と向き合う産業を学ぶまでは忘れてしまっていた。毎日口に出している「いただきます」「ごちそうさま」という言葉の本質を忘れ、ただただ流れで言っているだけになってしまっていた。これらの言葉には、他の命に対する感謝の気持ちやそれらにかかわった人たちへの感謝の気持ちが込められている。毎日口に出しているのに、それが当たり前になると人はその理由を忘れてしまうのだ。この食に敬意を払う文化は日本の誇れる文化であるが、本当に意識して口に出している人は少ないのではないか。
 一つの命をいただいたことで私は大切なことを思い出すことができた。そのことを忘れないためにも「いただきます」「ごちそうさま」という言葉は重要なのではないか。この事に気づかせてくれた一羽の鶏に感謝し、命をいたただいている側として食に感謝をもってこれからも生活していきたい。それこそが、ほかの命をいただいている私が犠牲になってくれている命とかわすことができる最大の約束なのではないか。