2020年
第25回入賞作品
10代の約束賞
また会えるまで 加山 奈実(13歳 中学生)
「夏にまた会おうね」
父と交わしたこの約束が叶うかは、まだわからない。
私の父は三年前から単身赴任で香港に住んでいる。今までは三ヶ月に一度くらいは絶対に帰ってきていたのだが、コロナウイルスの影響でなかなか帰国できず、かれこれ今回の帰国までは一年ほど会えていなかった。香港に赴任する前にも、大阪で仕事をしていた父と、私が一緒に暮らしていたのは私が幼稚園の頃までだ。実のところ、私は父のいない生活に慣れていたし、父と一緒に暮らしていた時のことをほとんどと言ってもいいほど覚えていない。だから、会いたいと思わない、というわけでもないが、それほど寂しいとも感じていなかった。しかし、単身赴任とはいえ、今まで父とは結構な頻度で会っていたし、やはりこれほどの長い期間父と会わなかったのは初めてのことであった。
去年のクリスマス、その父が日本に帰ってきた。もちろん、コロナ禍である今、そう簡単に帰ってこられたわけではない。コロナウイルス感染拡大防止のため、日本に着いてから二週間もの間、空港近くのホテルで待機要請に従わなければならなかった。せっかく日本に到着してもすぐに帰ることができず、一人ホテルで過ごしていた。
それだけ苦労して帰ってきた父だが、一月五日には私たちと別れて六日に香港へと戻っていった。香港は日本以上に厳しい規制があり、入国の際に検査が陰性でも、そこから二十一日間の隔離生活を余儀なくされる。日本と異なり、飲食の買い出しやランドリーのための外出さえ許されない。昨今は便利になり、いわゆるウーバーイーツのようなサービスがあるので、それを頼りに過ごしているらしい。ちなみに、こうしてこの文を書いている今も父はホテルの部屋を一歩も出ることができない状況だ。たった十日間家族に会うために、合わせて三十五日間も不便な生活を送らなければならないのだ。
最近ではコロナウイルス自体だけではなく、コロナウイルスによって敏感になった人々の心も恐ろしさが増していると感じる。自粛警察と呼ばれる人々による、県外ナンバーの車への嫌がらせ。また、電車でマスクなしで咳をしている、スーパーのレジの列で間隔を詰めている、といったことの一一〇番通報。そして、一番恐ろしいと感じる、感染者及びその周りの人へのいじめや差別。今回父が帰ってくることになり、私が感じた不安は、このような人たちの「目」だ。
「あの人、香港から来たんだって」
「今の時期に、外国からわざわざ来る?」
そういうふうに感じられる、そして、そのような思いがいじめや差別につながるのではないかという不安。実際、ここで父が香港から一時帰国をしていたことを書くことも躊躇する気持ちもあった。しかし、「なぜそんな心配を私がしないといけないのか?」「私たちが何か悪いことをしただろうか?」という思いが今は強くなっている。誰もが感染なんかしたくないし、推奨される感染防止対策をして、ルールを守っている中で、万が一のことがあったら、それは仕方のないことだし、誰にでもおこりうることだ。
夏にまた父と会えるかはわからない。全ての人が感染防止対策を心がけたところで、国をまたいでの移動が何不自由なくできるかなんてわからない。もしかしたら会えないかもしれない。それは誰のせいでもない、仕方のないことだ。でも、父との約束が、理不尽な正義で果たせないようなことにはなって欲しくない。