第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2020年
第25回入賞作品

大賞

約束からの約束 植木 涼太(13歳 中学生)

 じいちゃんの願いはただ一つ。それは、ばあちゃんの笑顔をずっと絶やさない事。だからじいちゃんはぼくに自分の一番の宝物を預けたのだと思う
 横浜に住む祖母はなんでもテキパキとこなす。時折、腰を痛める高齢者だがまだ現役で働く頑張り屋だ。そんな祖母だが還暦を迎える頃、大病を患って働く現場から戦線離脱した期間があったと後に聞いた。責任感の強い祖父は祖母の負担を少しでも無くそうと、そこから一念発起して料理学校に通い、自分が亡くなる寸前まで毎日毎日食卓に彩りを飾り続けていた事をぼくは知っている。
 ある春の事。ぼくが祖父母宅へ行った時に、祖父はぼくに見せたい物があると大量のノートを渡してきた。それは、祖父が祖母の為に作り続けてきた食事のレシピを書き綴ったものであった。ノートびっしりに事細かく調理方法が記されてあり、その時このノートを見たぼくは褒め称えるよりも、「じいちゃん暇だなぁ。」と、つぶやいたくらいだ。祖父は気にせず、「必ず役に立つ時が来るから取っとけ。料理人になれるかもしれんぞ。」と、ぼくに無理矢理押し付けてニカッと笑った。祖父曰く、祖母が笑う秘密道具なんだと言う。
「じいちゃんは、ばあちゃんの笑った顔が本当に好きなんだね。」と言うと、話をはぐらかすように、「必ず大事にする事。約束だぞ。」と、二度目の無理矢理を押し付けニカッと笑った。そしてその冬、祖父は事を済ませ安心したのかあっけなく旅立ってしまった。
 祖父が亡くなり二年。祖母はめっきり弱ってしまった。入退院を繰り返し、笑う事も、食べる量も減り、いつどうなってもいいようにと断捨離も始めるようになった。そんな祖母の断捨離中、ぼくの目に見てはいけない物が飛び込んできた。あれは、じいちゃんの…。
「ばあちゃん!じいちゃんの包丁じゃんか。捨てるの?」と、怒りと悲しさと、よくわからないぐちゃぐちゃの感情で祖母に問いかけた。
「もう、誰も使う人はいないよ。あっても必要ないよ・・・」と、祖父がいつでも愛用していた包丁を新聞紙に包み込もうとしていた。それはまるで、祖父との思い出の日々を心に閉じ込めようとしている姿だった。
「ばあちゃん。待って。ぼくが使うから。」
ぼくは、机の引き出しの奥底に埋もれていた祖父のレシピを取り出し、自分のなけなしの財布を握りしめて食材を買いに走った。
 その後は無我夢中で、祖母の為に祖父のレシピを見ながらやった事もない料理に没頭した。すると、まな板からトントンと響く音に祖母が耳を澄ませている事に気づいた。
「懐かしい音だねぇ。」
祖母の表情が緩み笑っている。ゆっくりゆっくり祖父との時間を振り返るかのように包丁から奏でる音とその時間を楽しんでいた。
「ばあちゃん。できたよ。」
とても上手とは言えなかったが、祖父レシピによる直伝チャーハンを作ってみた。しかし、一口食べた祖母は笑うどころか今度は泣き崩れてしまった。
「ばあちゃん。どうした?まずかった?」
すかさず水を差し出したぼくに祖母は久しぶりの優しい表情でこう言った。
「ちがう、ちがう。じいちゃんに会えたようで。また会えるとはね。それに、あなたが作ってくれた事が嬉しいのよ。」と、もうこれ以上ない笑顔を見せてくれた。
「ばあちゃん。このレシピノート、まだ何百種類もあるんだけど。全部制覇する頃にはぼくは料理人になれるかもしれないよ。」と、祖父がもう一つ約束を仕掛けていった事に気づき、二人でおもいっきり笑った。