第28回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2019年
第24回入賞作品

佳作

愛と命 新田 莉菜(12歳 中学生)

 私の家には、手作りの家族新聞があります。
 「菜の花だより。」それがその新聞の名前です。私が生まれてから毎月一枚、両親が書いてくれています。新聞の名前は私が生まれたとき突然庭に生えてきた菜の花から付けたそうで、私の名前の一字にもなっています。
 その月私の言動や成長、家族の様子、両親の私に対する想いなどが書かれていて、その時々の私の姿や私を見ていてくれる両親の姿が生き生きと浮かんできます。たった一枚の紙に過ぎないのだけれど、そこに込められた想いの量や時間は何物にもかえがたいものだと思います。
 ただ、この新聞は、四月分からスタートしています。でも、私の誕生日は一月です。この三箇月間はというと、実は私は、早産でNICUに入院していたそうです。写真を見たときに私が動揺するのではと、両親が考え、その写真やその頃のことは我が家の新聞には書いてありません。小学校の高学年まで、知りませんでした。私が少し物事を考え事実を受け止められるようになってからと両親が考え、写真もその時に見せてもらい、その頃のことも教えてもらいました。
 その写真を見ると、確かにとても小さな体の「私」にたくさんの管がつながっていて、それをとめた白いテープで痛々しい感じがします。その時の点滴をしていた小さな手には、今でも点滴のたくさんの針のあとだとわかる傷が残っています。心臓につながる血管もこの時点では正常には、つながっていなかったようでどうなるかわからないとも言われていて、小児心臓外科の手術のできる大学病院で手術をする予定だったといいます。目や耳の検査もたくさんしたようで、暗がりの中でよく泣いたと聞きます。そして、私が早く生まれたことや、体がうまく機能しないかもしれないと言われたことなどで、母は自分を責めよく泣きながらNICUの小さな私の手をにぎっていたこともあったようです。また、母乳も少しでもたくさんと思って絞り、冷凍庫に保管しておき、それを持ってきてくれていたといいますが、うれしい反面、そうして運ぶ状況が切なかったとも聞きました。
 でも、毎日私のもとに通ってくれたといいます。父も仕事帰りに毎日寄ってくれたようです。幸い、退院する頃には心臓の血管もつながり、大きな健康上の課題はなく過ごせています。
 私が早く生まれる前、母は大出血をし、救急車で運ばれた産院では赤ちゃんを助けてほしいと願う母の顔を見て、お医者さんが悲しそうな顔をしていたとも聞きます。大きくなった今では、「しがみついていたあなたはしぶとい」と笑い話にもしていますが、その時は大変な思いをしたそうです。
 こうして私が、健康に育っているのは、多くの人の助けがあったと思います。産科や小児科のお医者さん、看護師さん、母が入院しているとき、本当に一生懸命に母を励ましてくれたそうです。私がNICUにいるときも、看護師さんたちが本当によく声をかけてくれ、かわいがってくれたとも聞きます。もちろん両親や祖父母は言うまでもありません。
 こんな私には小さな「約束」があります。自分の体を大切にして健康に過ごすこと。そして、私を多くの人が助けてくれたように、私もたくさんの人の命を助けられるような人、お医者さんになること。かなうかどうかわかりませんが、私自身の心に誓った、私との「約束」です。