第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2019年
第24回入賞作品

佳作

空色の便箋 鹿田 萌々香(17歳 高校生)

 私がまだ小学校に通っていたときのこと。従兄弟の家族が近くの街に引っ越してきた。三人兄弟の末っ子はまだ年少さんで、よく家に遊びに来ては私に三つ編みをしてとせがんだ。従兄弟家族の新しい家は古い家をリフォームしたものだった。まだ家が工事中だったとき、私はよく父につれられて建築途中の家を見に行った。骨組みがむき出しになった家からは家の構造が見わたせて、深く息を吸い込むとおばあちゃんの家のにおいがした。いよいよ完成間近になると、今度は母も一緒に家を見に行った。真っ白になった壁からは家の中を見ることは叶わなかったが、息を吸い込むと今度は真新しい木のにおいがした。ついに家が完成したという知らせを受けて、私には飽きるほど見た家をまた見に行った。髪飾りをつけた従兄弟に手を引かれ、私は家中を探検した。新しい家なのにもう従兄弟のにおいがして、なんだか不思議な気持ちになった。それから数カ月後、今度は祖母の家をリフォームすることになった。床をはり替えたり、部屋に手を加えるといった簡単なものだったが、従兄弟の家をリフォームしてくれたところと同じ会社に頼むと、同じ人が来てくれた。その人が家に来るときは母がケーキを買ってくるので、私は毎週楽しみに待っていた。
 その人が家に来はじめて数回たったころ、いつもテーブルに広げられていたカタログが紙に変わっていた。何もかかれていないまっさらな紙だった。私が肩ごしにテーブルをのぞき込むと、その人はペンを出してきてさらさらと家の間取りを描きはじめた。彼は建築士だった。定規を使わずにフリーハンドで引かれた線は少々ゆがんでいたけれど、私はそれが祖母の家だとすぐに分かった。説明のついでにかかれたそれは今思えばずいぶんと簡略化されたものだったけれど、その頃の私には彼の手がまるで魔法の手のように思えた。彼がそれを引いたときから、私の憧れは彼になって、私の夢は建築士になった。
 数カ月後、無事に祖母の家のリフォームが終わり、私は彼に手紙を書いた。少しだけ背伸びをして無地の便箋を買い、書きやすいように先を丸めた鉛筆で、一文字一文字丁寧に書いた。それらを封筒に入れ、切手を貼って、学校の帰り道にポストに入れた。少しだけ遠回りをした道は、いつもの帰り道より短く感じた。その週の土曜日、彼からの手紙が届いた。慎重に破った封筒からは、空色の便箋が3枚出てきた。ボールペンでしっかりと書かれたそれは、裏をさわると少しでこぼことしていた。手紙は挨拶から始まり、自分の体験談や応援の言葉が続いていた。その中には学生時代の後悔の言葉もあって、たくさん勉強してほしいと書かれていた。周りの大人から口酸っぱく言われてきた言葉だったのに、彼から言われると心から頑張ろうと思えるのが不思議だった。返事の手紙は書かなかった。たくさん勉強をして、自分に自信が持てるようになってから書きたかった。そうではないと、なんだか彼に失礼な気がした。自信をもってから、彼のようにボールペンで紙を凹ませながら、10年越しの返事を書きたい。そう考えて、私は便箋を箱に仕舞った。
 あれから8年、彼はあの手紙のことを忘れているかもしれないし、あの頃の住所を記した手紙が彼の手に届くかどうかも分からない。けれど、10年越しの、自分と交わした約束を守るために、きっと私はあの便箋を取り出すのだ。