2018年
第23回入賞作品
10代の約束賞
お弁当 金澤 優花(15歳 中学生)
「感謝の気持ちを忘れずに、ありがとうを言うこと。」
母が私に何万回も言った言葉だ。いつからか、これは私と母の間の大事な約束になった。基本的に、私はこの約束を守れてきたと思う。しかし、私は一つ、後悔していることがある。
私は幼稚園の頃から母手作りのお弁当を食べていた。そして今も、母は毎朝私のためにお弁当を作ってくれている。毎日違う味のお弁当の中に、一つ変わらないものがある。私は、それがあまり好きではなかった。なぜなら、他の料理の汁を吸って色が変わっていたり、押し潰されていたりするからだ。小学校低学年ぐらいまで、それがどれだけ見た目や味が変わっても全部食べるようにしていた。私より一時間も早起きして、一所懸命にお弁当を作る母にとって、お弁当を残されることが何より辛いことと知っていたからだ。また、母は私が空っぽのお弁当箱を持って帰ると、「いつも残さず食べてくれて嬉しい。」と言いながら洗い物をしていたのだ。
しかし、小学校高学年になった頃、私のお弁当が変わり始めた。妹が小学生になり、母はどんどん仕事が忙しくなっていた。思春期真近な私は、お弁当の代わりに渡されたお金で買うコンビニのご飯が大好きになった。お昼ご飯や晩ご飯をコンビニで買う、という友達が多く、自分もその仲間入りができたようだった。前日の晩ご飯の残り物が詰められたお弁当より、自分で食べたいものが選べるという新鮮さに魅入っていたのだと思う。でも、母は基本的にお弁当を用意してくれていた。勿論、私の苦手なあれも、お弁当とセットである。ある日、私はそれを残した。何も言わずにお弁当をリビングに置いて寝た。次の日の朝、いつも通りの母からいつも通りのお弁当を渡された。また、私はそれを残した。その後の何日間も私はそれを残し続けた。
そして、私は中学生になった。中学一年生になっても私はそれを食べなかった。入学して一年が経った頃に、ある写真を見た。その写真は、発展途上国の子供がほんの少しの食べ物を家族と分け合っている姿が写っていた。私はその写真をみたとき、母の口癖を思い返した。感謝の気持ちがあるなら、今の自分のようなことは出来ないと思った。母の愛情が詰められたお弁当を思うと、涙があふれ出た。その頃、私のお弁当の中にそれはもう入っていなかった。
もうすぐ、私の十二年間のお弁当生活が終わろうとしている。私はまだ母にお弁当に関する感謝をきっちりと伝えたことがない。なので少し、ここに母への気持ちを書こうと思う。
「ママ、いつもありがとう。私と妹を一所懸命育ててくれてありがとう。美味しいご飯をありがとう。そして、毎日のお弁当をありがとう。ママのお弁当は、世界で一番大好きです。たまごやき、残してしまってごめんなさい。たまごやきに、ママの気持ちが沢山詰まってるの知ってたよ。ママをすごく傷付けてしまったことに後悔してる。本当にごめんなさい。あと三年間、高校生活でたまごやき入りのお弁当を楽しみにしています。」
約束は、目に見えて形があるわけではない。私は、目に見えないけれど心と心をつなぐ大切なものだと思っている。
「感謝の気持ちを忘れずに、ありがとうを言うこと。」
この約束はきっと、これからも私と母をつないでゆくだろう。