2017年
第22回入賞作品
佳作
冒険の終わりに 和田 一(33歳 会社員)
21歳の男子三人、寺院の畳敷きの大広間、目の前には大きな金色の阿弥陀如来像。僕らは服を脱ぎ、下着を脱ぎ、ついには素っ裸になった。外は夜。一帯に大雨警報が出ていた。空から地面へ水を叩きつけたような、そんな豪雨の中を僕らは徒歩で旅し、一晩の宿を求めてこの寺院に飛び込み、芯までびしょ濡れの服を一切脱ぎ去った。夕飯をおあがりなさい、と御住職からお声がかかる。
ヒロとフジと私。就職活動中の大学三年時、三人は就業体験で知り合い、意気投合し、房総半島横断の旅を企画した。始点は千葉駅、終点は東端の犬吠岬とした。寄り道を含めれば距離にして八十キロメートル。短いかも知れないが、僕らはこれを旅と呼んだ。旅を旅らしくするには何かが必要だと思い、道中の約束事を三つ定めた。野宿をすること、携帯電話を使用しないこと、どんなことがあってもコースを変えないこと。準備が整い、沿道へ出ると、旅がいよいよ始まった。終点の岬には足湯があるらしかった。
市街地を過ぎ、緑の中を進む。駅から四十キロメートル程離れた頃、再び市街地に入った。まだ陽が落ちきらないうちに、野宿に適した場所を探す。その夜は閉店したパチンコ店の駐車場が僕らの寝床となった。車止めのブロックを枕にして横になる。旅の初日は大満足のうちに過ぎた。この日、三人は旅の約束事をすべて守った。
問題が起き始めたのはその夜からだった。思いのほかに風が強く、底冷えし、体がガタガタと震えた。季節は十月、昼間は半袖でちょうど良い気候だったのに、夜は違った。結局、一睡もできないまま朝を迎え、二日目は苦痛の旅路となった。加えて足の痛みが顕著になった。裸足で剣山の上を歩いているような激痛が襲う。休憩後しばらくは足が痛みに慣れず、余計に痛みが酷くなる。アーとか、ウーとか声にならない呻き声をあげながら、それでも歩みを進めた。そんな中、雨が降り出した。
臨海の気まぐれな気候のせいか、たちまち辺りが真っ白になるほどの豪雨に変わった。ほんの数メートル先が見えない。車道と僕らの間を隔てるものが無く、車が速度を落とさずに真横を通る。恐かった。ちょっとしたはずみで轢かれてしまうと思った。心身共に疲弊しているせいか、普段の何倍も臆病になっていた。下方に別の公道が見える。車が少なくて安全そうだ。僕らはその道を臆病者の道と呼んだ。楽な道を進めば負けだった。
どんなことがあってもコースを変えないと決めたのだ。三人は既に言葉を交わさなくなっていた。車がビュンと通るたびに怯えた。ああここで死んでしまうのかも、と良からぬ考えが浮かぶ。旅の約束事が僕らの中で揺らいだ。
僕らは臆病者の道を選んだ。悔やまれた。併せて野宿を断念し、その夜は寺院の戸を叩いて泊めてもらうことにした。旅の計画がひとつひとつ崩れていく。
こんな風に人が訪ねてくるのは三十年振りだと御住職が笑う。僕らはこれまでの旅の話をすっかり話した。臆病者の道を選んでここまで来たことも。「人の命は日々に今日や限りと思い、時々に只今や終わりと思うべし。」これは親鸞聖人のことばだそうだ。今日限りであるかもしれない命に気がつくことができ、今こうして生きているのだから、胸を張って残りの旅路をゆきなさい、と背中を押された。
旅の三日目は晴天。御住職に見送られ、終点を目指す。足には激痛。しかし心は明るかった。犬吠岬までの残りの距離は、頭上の道路案内標識が教えてくれる。残り十二キロ、残り九キロ。僕らは岬へと辿りつく。足湯に浸りながら、旅の終わりを実感した。
あれから十余年。写真の中では、三人がクリアファイルを皿代わりにして、焼きそばを誇らしげにほうばっている。