第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2017年
第22回入賞作品

佳作

古き良き 我らの宝物 廣井 直美(64歳 主婦)

 度々台風の通過地点となる四国の南端の海辺の町。亡父の命日の九月四日に合わせて帰省すると、運悪く大型の台風と出くわすハメになる。実家の在る町は八月から九月にかけては台風襲来の季節。大型台風の直撃を受け甚大な被害を蒙ったり、交通網がストップして足止めを余儀なくされる。
 子供時代を四国で過ごした私には、五十年以上の時空を超えても尚、鮮明に細部まで甦える台風一過の記憶がある。それは古い大きな一軒家に纏わる、不思議な出来事だった。
昭和三十四年九月十六日、後に「第二室戸台風」と呼ばれた観測史上最強の台風が、四国の海辺の小さな町を襲った。当時私は八歳小学三年生で、父母祖母、三歳下の弟の五人家族で住んでいた。あの夜は早々と雨戸を閉め、戸締りをして枕元にラジオを置き、家族全員が早めに寝床についていた。
 当時は非常時の警戒警報を知らせることもなく、事前に避難場所を設けることもなく、ニュースの情報伝達も遅い。地方行政の災害対策はまだ整わず、現在とは比較にならぬほどに個人的な負担が大きかった。
 その夜の風雨は特に激しく、木造の我が家は何度もガタゴト大きく揺れて、上下左右にギシッギシッと軋んだ。そのうちに難破船のような大揺れに変わり、「これは只事ではない。今までに経験したことがない暴風雨だ」と恐怖心が掠めた時に、不安は的中した。
 竜巻の如き突風が屋根をドドーンと直撃して、その拍子に二階の南向きの雨戸が一枚強風に煽られて吹き飛ばされた。剥き出しになった窓ガラスはバリバリ音を立てて砕け散り、壊された窓から暴風雨が渦巻きながら次々と家の中に流れ込み、野戦の場と化した。
 悪いことは重なる。家屋全体がメキメキバラバラと強烈な音を立てて崩壊寸前の状態になったのだ。家屋が崩壊すれば一家全滅の大惨事もあり得る。危機感を募らせた父と母は、暗闇の中で屋外へ逃げる方法を検討していた。
 すると祖母が突然むっくり起き上がり、意外な力を発揮した。家の北側は家屋に遮られて風雨が弱い。ならばそれを利用しようと北向きの雨戸を一枚外して、南向きの吹き飛んだ雨戸の代わりとして押し込んで入れたのだ。足元でガラスが砕け散っているのも気にせず、暴風雨で体中びしょびしょに濡れるのも構わず、祖母は小さな体ではあり得ない強い力を発揮した。とっさの判断で雨戸を一人で担ぎ、家と家族を守ったのだ。
 農家出身の祖母は、畑仕事で鍛えた体つきだが、それは五十代までの事。六十代半ば認知症に羅り、七十代では、判断力は衰えていた。意思疎通を図っても儘ならず、状況判断も出来兼ねるのに何故、あのような神懸かり的な力が宿ったのか?今も解けぬ謎だ。
 台風一過、最小限の被害で済んだ我が家はすぐに元の暮らしに戻れた。祖母も同様に「ご飯まだ食べていない」「お金が失くなった」と、認知症の妄想が戻ってしまった。「どっちが本当の姿なの?猛者のおばあちゃんが本当?弱者のおばあちゃんが本当なの?」家族は戸惑ったが、両方とも本当の姿なんだろう。私は強く逞しく頼りになる祖母が大好きだったが、段々と衰弱して弱き祖母となり、持てる力を二度と発揮することなく七年後に永遠の別れを告げた。
 修改善を繰り返し、実家は築百年以上経ったにも拘らず尚も健在で、私の弟が現在も住んでいる。今風の建築物よりも棟や梁が堂々として立派なのは遥か昔、日ロ戦争時に軍人として活躍した祖父が、その父親から土地を譲り受けた時に祖父自ら設計して材料を選び、建てた家だからだ。ささやかながらも家族史を刻んだ宝物を残し、住み続けて行こうと、父母亡きあとに私と弟は固い約束をして、家を風水害や老朽化から守っている。
 古き良き建物は安らぎをもたらし、未来への希望も放つ、祖母のエネルギーを私はまだ貰い続けている。祖母に感謝。