第26回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2012年
第17回入賞作品

佳作

「山の唄」 板橋 えい子(84歳)

 生前、夫は「俺が死んだら葬式も、戒名もいらない。ネパールへ分骨を持っていって、ヒマラヤの見えるポカラの丘へ埋めてくれ」
 遺言を残した。亡くなって現地の、親しくしていた地主に連絡をした。
 「今ネパールは、ドンパチで国内騒然としている。ポカラの丘へゆく途中は、山賊が出る」それからぐずぐずしている内に七回忌になってしまった。息子に告げた。
 「剱や穂髙の岩場が好きで、年中、通っていた人だ。あの山々が見える場所へ埋める」
 さしずめ個沢あたりへ埋めようかと思った。
 80ウン歳では、誘える山友達も死にたえた。
 個沢くらいなら、何回か通っている。単独行でいかれるルートだ。
 「独りでいかないでよ。身元不明の老婆の遭難死体など、熊のエサにどうぞだ。三〇分でヘリを飛ばせば、五〇万、百万と言われてる。しがないサラリーマンには大変な出費だ」
 ゴルフ場のマネージャーの息子は、都合が悪いと、しがないサラリーマンになる。日頃の私の行動を見ぬいていて、釘をさした。上高地のホテルに予約申込むと、ハイシーズンで、殆ど満室である。「霧ヶ峰髙原に、会社のホテルがある。社員割引で使える。展望風呂もあり、食事はコースで上味い」息子が言った。展望風呂と上味い食事では、のけぞりたくなる。あそこの尾根筋は、三六〇度の展望で、穂髙も後立山連峯も、見渡せる。老残の独り残っている山友達を誘う。東京は曇り、八ヶ岳の空は快晴である。気分は髙揚する。
 白樺湖で途中下車する。五、六十年前、霧ヶ峯から、美ヶ原縦走。蓼科から七八つ縦走。
 子どもが小学校へ入るようになってからは、この辺の山々、髙原へよく連れてきた。「田舎のバスは、オンボロバスよ」歌が流行っていたガタガタ道は、綺麗に補装され、小ジャレタ店が並んで、ビックリである。
 池の平ホテルが一軒あるだけの池畔には、クローバーの草原に、牛や羊が草をはみ、牧羊犬が横たわる牧歌的な風景を想いだした。
 バスを下りた。赤い屋根のレストラン、土産物屋、展望台行きのリフト迄ある。老友と二人、呆然として辺りを見まわす。ホテルは有るが観光バスが何台も並び、人々がざわざわと賑やかに下り立つ。四年前西穂へ登った靴をはき、五十年前スイスのツエルマットで買ったベストを着た、大仰山な格好では、い心地が悪い。リフト乗場の斜面に、ピンクの綺麗な花菜があった。従業員の男の子が、コルチカムと教えてくれた。花を愛でただけで、早々にバスに乗り、ホテルへむかった。展望風呂へ入ると、茜色の空の彼方に、八ヶ岳、南アルプス、富士山迄、鮮明に望まれた。
 翌日、リフトで稜線を目ざす。一般道をはずして、眺望のひらけた稜線を歩いた。澄みわたった蒼空の彼方に、槍、穂髙、乘鞍岳。右に点じて、後立山連峯、剱の頭が見えた。
 「この辺に埋めようか…」小さな牧柵の根元に穴を掘った。掌にのる程の骨箱に、のど佛と、細片が二、三枚、カタカタと音を立てた。「お金も名与も関係の無い人生だったけど、自分の生きざまを貫き通したから、満足だった人なのだ」私は吟やいた。「そうよ。この世知辛い世の中で、山々と関りあえた人生を持てたなんて、倖わせよ」老友も吟やいた。
  ”いつか或日 山で死んだら、旧い
            山の友よ伝えてくれ……
 谷川岳で滑落死したI君、奥穂で逝ったK君。その他の岳友達が死ぬ度に唱った山の歌である。最近の数年間、夫には介護をされる辛い日々であった。でも、その何倍もの好きだった山の想出をもって、彼は旅立った。
 この位の山歩きなら、未だ当分は出来そうだ。来年も又、ここへ来て山の歌を唱おう。
 老友と二人で、小さなケルンを積んだ。
 槍も穂髙も、何時迄も崩さずにこのケルンを見守って欲しい。