第26回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2009年
第14回入賞作品

佳作

「三日 三月 三年」 黒岩 秀年(40歳 自営業)

『大将~!只今出前から帰りましたっ!今から明日の仕込みに入りますっ』張りのある圭介の声が店内に響く。『お疲れさんっ今日は遅いから、もぅあがっていいぞぉ~仕込みは俺がやっとくよっ』圭介とはウチの店で働く期待のホープである。店に来て丸々一年最近お客様に餃子が美味いと言われ腕を上げたウチの金の卵だ。丁度去年の今頃決してお世辞にも上手いと言えないひらがな文字ばかりの履歴書と金髪頭、ぶっきらぼうな態度でウチの店に面接に来た。今年で二十歳になる、若者である。何度も書き直した跡のあるクシャクシャな履歴書、服装身なりツラ構え、全て一般の会社の面接では採用の域には至らない青年であったが時折見せる笑顔と話す時に実直で人の目を見て話す純粋な瞳に私自身惹かれ、まるで昔の自分を見ているかのようになり、周りの意見に耳を貸さず採用した若い衆であります。『ウチは給料安いぞぉ~』『ハイッ元々金目当てでラーメン屋希望してないっす』負けずに言い返し『仕事キツイぞぉ~』『ハイッ覚悟の上です』その時です、私が今から丁度15年前、今は亡き母に言われた約束。
『三日 三月 三年』何事にも辛抱しろ!当時の私は定職に就かず中学を卒業して10年地に足をつけずフラフラと転職を繰り返し行く先々でトラブルを起こし警察の厄介にもなり荒んだ生活を送って来ました。幼少の頃から母子家庭水商売の母に女手一つで育てられた境遇も重なり有り合わせで自炊した経験が豊富で料理には自信があった事を覚えております。今思えば自分なりに母に負担をかけたくないと思っていたのかもしれません。母は私の幼少の頃に亡くなった父の事をあまり語りません。私自身2歳の頃に他界していた為記憶にないのも事実です。何より深い事情があったのは、子供心に薄々感じておりました。口数少ない母が酔って仕事から帰った時に時折上機嫌で話す父との昔話を聞くのが私の父のルーツを知る機会でもあり貴重な時間でした。何でも昔屋台を引っ張り営業するチャルメラだったようで、将来は店を出す目標で夫婦二人三脚頑張ってたそうです。その話は私が25歳になったばかりの春に癌の病に侵された国立病院の病床の上で聞かされました。当時依然としてバイトで喰い繋いでいた私に母が渾身の力を込めて、私に言った言葉です。『三日 三月 三年』我慢してみろ!とにかく三日、それが達成できたら三月、、三月我慢出来たら、、三年辛抱してみろ!もう既に末期に入った母の痩せ細った身体から発っせられる気迫の入った言葉に私も首を縦に振るしかなかった。。その一週間後、母は旅立ちました。『三日 三月 三年』その後は?と思いながら何気なく立ち寄ったラーメン屋、会計を済まし何気なく窓に張ってあった急募の紙。。瞬時に店の店主との面接、当時の時代背景かもしれませんが、即決採用となりました。あれから早いもので丸十五年。。母との約束『三日 三月 三年』、、、三年の先は、自分なりに理解しました。。三年の先は一生だと。。。もし、あの時、母との約束がなかったら、、自問自答で耐えながら精進した十五年。今では小さいながらも自分の店を構える事が出来ました。今更感謝の気持ちで母の遺影を店に飾るにはシンキ臭いから、何より貴女は華やかな場所が好きだった女でしたから、飾りません。先日知り合いの書道家に一筆書いてもらいました。勿論立派な額縁に入れて店の一番目立つ所へ。。。『三日 三月 三年』、、、、お店に来て下さるお客様には解りはしませんが、それでいいんです。感謝の気持ちを込めて私だけが解れば。。
『大将~!三日三月三年?これって何すかぁ!?一体?』今日も圭介の元気な声が響き渡ります、今夜圭介に教えてあげたいと思います。