第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2008年
第13回入賞作品

中学・高校特別賞

「約束。ミセス・カイ。」 武田 北斗(学生 男性)

 一九九七年・ホノルル・アリアマヌエレメンタリースクール。大きな大きな合歓の木が風にざわめき、まっ青な空に星条旗が音をたててははためく遥か上空を戦闘機が旋回していた九月。僕は教室でMrs.カイと向き合っていた。父の仕事の関係でハワイで生活する事になったものの、英語生活の中にポンと入れられ右も左もわからない毎日の始まりだった。
そんな不安だらけの入園式に彼女に出会った。Mrs.ナンシー・カイ。背のスラッと高い日系三世の担任はニッコリと笑って僕を見ていた。母の話によると英和辞典片手に入学手続をしていた母を偶然オフィスにいた彼女が見かけて、ずっと気になりオリエンテーションの日に声をかけてくれたそうだ。Mrs.カイは全く日本語がわからないし話せない。母はとてもびっくりしたそうだが、ただ日系というだけで日本人に気をかけてくれた彼女に心から感謝し、息子は幼稚園に娘は小学校に入学させるが二人共全く英語がわからないと伝えた所、「全く心配ない。約束するわっ」とハッハッハッと笑いとばしてハグされ、気持ちが軽くなったそうだ。「全く心配ない」の約束通り、Mrs.カイは僕の担任になり、Mrs.カイの親友の同じく日系のMrs.ヒロシゲが姉の担任になった。二人の先生の力添えで母はスクール・ボランティアになり学校内出入り自由になった。校内でいつでも母の姿を見る事ができ、何かと精神的に安心したものだ。
アリアマヌは幼稚園から中学校までの大きな公立校で、校庭には木々が生い茂り、花々は咲き乱れ、カラフルな野鳥も多く、日本では鳥カゴの中が当り前の文鳥や紅雀が野生で群れているのにはびっくりした。各教室にはクリントン大統領の写真が張られ、毎朝僕たちは右手を胸にアメリカ国歌を歌うのだ。
まずは自分の名前が書けなければ始まらないという事でスタートした休み時間のMrs.カイとのお勉強タイムであるが、なんせひらがなもあやしい四才児である。ライチュアネーム(Write your name)の前に、ドロゥストレートライン(Draw straight line)となった。それでもHが書ければ「コングラッチネイション!!ホクトゥアイラブユウ!グッボォイ」と、おほめの言葉の雨。Kが書ければ「リアリィラァブユゥ」そしてハグ・ハグ・ハグ。ほめてほめてほめまくられて、ごほうびのジェリービーンズの効果もあって僕はHOKUTO・TAKEDAをマスターした。気付けばMrs.カイと会話が成り立っていた。そう、僕は英語を話していた。当たり前の様に・・・。彼女は根気よく僕に話しかけ笑顔で包み込みながら英語も教えてくれていたのだとわかったのは、ずっと後になってからの事だ。Mrs.カイありがとう。本当にありがとう。僕の小学校一年の担任がMrs.ヒロシゲだったのも彼女のおかげだ。友達にも恵まれ、パークでビーチで遊び回り、学校に副大統領が来たりと夢の様な月日が過ぎて僕が帰国する日が決った。
お別れの挨拶にMrs.カイの教室に入ると、いつものように大きなジェリービーンズのビンを抱えて彼女は待っていた。そして僕の目をじっと見つめながらゆっくりと言った。
「あなたは私の誇りよ北斗。忘れないでね。あなたにサインを教えたのは私よ。今、アメリカはクリントンの左手(彼は左ききで彼のサインがアメリカを左右する力があるという事)で動いているのよ。いつか北斗の左手(僕の左きき)が日本を動かす日が来るかもしれない。その時私は北斗にサインを教えた先生としてスピーチしなくっちゃね。約束する。ナイスなスピーチをするから。北斗、忘れないでね。約束よ、忘れないでね。」
 最後は泣いていたMrs.カイ。ありがとう忘れない絶対に。でもごめんねMrs.カイ、日本人はサインより印鑑なんだ。スピーチはさせてあげられそうもない。習字は右手で書かなきゃいけなかったし英語も話せなくなってしまった。今度は僕が約束する。会いに行くよMrs.カイ。小さかった北斗もあなたと同じ位の背になった。約束する!!会いに行くからね。