第26回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2008年
第13回入賞作品

優秀賞

「心で結ぶ強い想い」 八木 花子(29歳 女性)

 半年程前のむし暑い初夏の日、私は一人の老婆と病院で出会った。私は毎月一度、都内の大きな総合病院に患者さんの髪を切るために通っている。私の仕事は美容師だ。自分の技術を生かし、人の役に立てることはないかと考え二年程前にこのボランティアを始めた。
病院には様々な患者さんがいる。私は患者さんに自分から病気のことは一斉きかない。病名や余命は髪を切るのに必要ない情報であり、感情的になったり気の毒に思いたくないのだ。同じ人間として対等に向き合い、その人の気分やセンスに合うヘアスタイルを、美容室に来て頂いている時となるべく近い状態で提供したいと思っている。
その日、予約名簿に記された病室に入ると一人の老婆が快く私を迎えてくれた。
「いつ誰かが来てくれても、ステキねと言われるようなヘアスタイルにしたいのよ。」
と彼女は言った。大抵の患者さんは、
「伸びた髪が邪魔で手入れしづらいから、できるだけ短かい髪にしたい。」
と言うが、彼女は違った。
「入院生活も長くなると会いに来てくれる人は決まっているし、お洒落をしてもしょうがないんだけど。でもね、気分が晴れるのよ。今の私は、きれいになることで人に会いたくなって元気が出るの。」
彼女はそう言いながら、細く少なくなった髪に手をあてた。何の病気なのかはわからないが、見たところあまり病状が良くないことは、素人の私にもわかった。しかし、彼女はとても元気おしゃべりだった。私は髪を切りながら、彼女にきいてみた。
「早く退院できるといいですね。退院したら一番に何をしたいですか?」
すると彼女は嬉しそうに微笑み、目を閉じてしばらく考えていた。そして。
「そうねぇ。行きたい所ややりたいことは山ほどあるけれど。まずはあなたのお店に行って、もっときれいにしてもらわなくてはどこにも遊びに行けないわ。」
と言って、鏡ごしにキラキラと輝く目を私の目と合わせた。
「じゃあ早く退院して、お店に来て下さいね。約束ですよ!お出かけはそれからですね。」
と、私も明るく応えた。
「ええ、約束ね。楽しみだわ。」
と彼女は目を細めて小さく笑った。
しかし、それからずっと彼女は店に現れなかった。私は彼女のことが気がかりだったが、こちらから見舞いに行くのは一人だけ特別扱いをしているようでできなかった。
何ヵ月か後の冬の日、私はたまたま彼女の病室のある病棟の、その階を歩いていた。ふと彼女のことが気になり、彼女の病室の前まで行ってみたが、そこにはもう彼女の名前はなかった。退院したのだろうか、それとも…と微妙な気持ではあったが、きっと元気に退院していったのだろうと思っていたかったので、医師や看護士に尋ねずに帰ってきた。
それから間もないある日、自分の店で仕事をしていると、モヘアの帽子を被り杖をついた一人の老婆が、入り口から入ってきた。入り口に立った老婆は眩しそうにゆっくりと店内を見回し、私を見つけると弱々しくではあるが手を振り微笑んだ。一瞬の間があったが、私はその老婆が病院で出会った彼女だとすぐに気付いた。私は彼女に駆け寄り、
「来て下さったんですね!嬉しい!お元気そうで何よりです。」
と、興奮気味に言った。彼女は私の手を握り、
「私のはげみになってくれてありがとう。きれいにしてちょうだい。任せるわ。」
と言って、嬉しそうに帽子を外した。
一人で自分に誓う約束もある。こうして、強い想いを心と心で結ぶ約束もある。心と心で結んだ強い想いは、もしかしたら一人で自分に誓うよりも強い力を発揮することができるのかも知れない。