2006年
第11回入賞作品
佳作
「弟との約束」 渡辺 奈々(30歳 女性)
ボリーに必ず会いに行く。その日まで必ず元気で。
18年前、私は小さな紙切れ一枚の中に、あまりにも大きな、そして叶えられそうもない、そんな約束をしてしまいました。だから、その約束を果たす事ができないでいる自分が辛く、切ないのです。
今私は30才。今から18年前。当時小学六年生だった私は、新聞の隅に「途上国の子供達を助けて下さい」という見出しを見つけました。大きな瞳をもつ男の子が、じっとカメラのレンズを見つめている一枚の写真が、そこには掲載されていました。その大きな二つの瞳が12才だった私の胸をじわじわと締め付けました。どうしてもこの子を助けてあげたい。でも私には、妹も弟も、そして祖母もいる大家族。父は体が弱く、低所得世帯という事で、私達の給食費も、修学旅行の支払いまでが減免されている状態でした。到底途上国の子供に援助なんていう事は、考えられもしない生活だったのです。でも、夜布団の中にもぐると、彼の姿が目に浮かび、眠れない一夜を過ごしました。一晩悩んだ末「お母さんこれを見て。どうしても助けてあげたいの」と母に相談すると、母は静かに目をつぶって「困っている者同士、助け合わないとね」と毎月五千円の援助を引き受けてくれたのでした。
まさに天にも昇る気持ちとは、こういう事なのでしょう。両親に感謝し、早速援助の手続きをしました。私達家族が引き受けた子。それがボリーです。八歳のやせ細った男の子。父親はいなく、母親と祖父母と3人でタイの奥地の小さな村に住んでいました。月に一度の手紙の交換が始まりました。援助金で村に井戸ができた事。自分の住む家にトイレがついた事。そして卵を食べれた事等を記した感動の手紙が届くと、私達家族も本当に幸せな気持ちになりました。自分達の食卓におかずが一品しか乗っていない事を、当時私はとても恥ずかしい事だと思っていましたし、洋服だって、穴があけば何度でも布を当てて着ている事が嫌でたまりませんでした。月に一度のおやつを買ってもらえる日が楽しみで、百円のおやつを選ぶのに一時間もかかっている自分を、とても情けなく思ってもいました。そしてボリーに援助するようになってから、私達家族が食べる米が古古米になりました。カブト虫を小さくした様な虫が米に沢山ついているので、それを皆で取り、米を干してから食べる生活に変わりました。でもボリーとの出会いによって、自分達の生活がなんて恵まれているのかという事を知りました。裕福って何だろう。お金が沢山ある事でしょうか。美味しい物を沢山食べれる事でしょうか。妹も弟も、文句一つ言わず、一生懸命小さな手で米の虫を取る。それが食卓に上ったらみんなが美味しいねと食べる。毎日皆がそろって食事が出来て幸せだねと話す。今思えば、とても幸福な時間であったと思います。もしボリーに出会っていなければ、文句ばかり言っていた姉弟だったと思います。私は手紙の中でボリーに会う約束をしていました。私が大きくなって、沢山お金をもらえるようになったら、必ずボリーに色鉛筆とキャンディを山ほど持って会いに行くという約束です。その約束から18年。私には今、二人の息子がいます。息子達を寝かしつける時、私はよくボリーの話をして聞かせます。最近では、「ママ、色鉛筆を早く届けないと駄目だよ」と言うようになりました。
今ボリーは26歳。きっと立派な青年になっている事でしょう。遠い国に住むもう一人の弟。私の心を豊かにしてくれた弟。約束の色鉛筆とキャンディを沢山背負い、息子達の手を引いて会いに行けたらどんなに素晴らしい事でしょう。
明日もまた、ベットでボリーの話をしよう。そしていつかきっと、色鉛筆を届けに行こう。大きな約束を果たすために。