2006年
第11回入賞作品
佳作
「ねむの花を摘みに」 菅野 郁子(62歳 女性)
小学生のころ、夏休みになると、毎朝、町内の広場でラジオ体操があった。雨降りか、病気か、あるいは家族でどこかへ出かけるとか、そんなことでもなければ、子どもたちはみんな参加しなければならなかった。
塾通いする子どもなどいくらもいなかったから、夏期講習などもなかった昭和二十年代のことである。
毎日、日記をつけることと、ラジオ体操に参加すること、この二つが学校から出される夏休みの大切な宿題だった。
夏休み中、一日も休まずラジオ体操に参加すれば、二学期の始業式の朝、校長先生から,精勤賞の賞状とご褒美が頂ける。
でも、ひと月もの間、毎朝ラジオ体操に通うのは大変なことだった。最初は我先にと参加する子どもたちも、一週間を過ぎる頃から少しずつ減っていく。みんな早起きが辛くなるからだった。わたしとて同じだった。
そんなある朝のことである。ラジオ体操に行くのが嫌で、目をこすりながら玄関に座り込んだわたしの顔を、三和土に膝をついた母が覗き込んだ。
「川原のねむの木、きっと今朝も咲いているわね」
真っ白な割烹着の裾で手を拭きながら言う。
母と買い物に行った時にみつけたねむの花が気に入って、当時のわたしは、夢中になって図鑑を調べた。ねむの木の説明は空で言えるほど、もうしっかり覚えていた。
花は夕方に開き、わたげのような花びらは朝になるまでふわふわとゆれ…
細く柔らかな葉は、夕方にびったり閉じ、朝になるまでそのまま…
それは、子どもたちが、夜ぐっすり眠るのと似ている…
だから、ねむの木といわれる。
あくびをしながら いやいや頷いた頭を撫でてくれた母の手はひんやりしていた。
「ラジオ体操がすんだら、川原へ行って、ねむの花を少うし摘んできて。ねむの葉がしっかり起きているかどうかも見てきて教えてちょうだい。約束よ。さあさあ、ねむの花にうまく手が届くかしらね」
母は指きりげんまんでわたしを送り出した。
ラジオ体操がすみ、わたしは川原に向かった。
明けたばかりの川原は、水の音と小鳥の声が辺りいっぱいに響き、川面の上には、朝陽を受けたもやが、ゆっくり流れていた。もやは、たくさんのビーズが混じっているようにきらきらして、その中で、淡いピンクのぼんぼんが、ぽっかり、ぽっかり、浮かんでゆれている。
なにかしら…
もやの中にもぐってみると、ぼんぼんだと思ったのはピンクのふわふわした花だった。なんてたくさん。みんなゆれてる。ねむの花だわ。すごぉい。枝も川の水についちゃうくらい伸ばしてる。葉っぱだってみんな、元気に開いてる。もう起きてるんだ。
わたしは、いっぺんに目が覚めた。
その日から、夏休みの間中、朝食には、早起きの素敵なおまけがついた。
テーブルのまん中に、水を張った大きな楕円形のお皿がおかれる。その中に朝顔の葉が二、三枚、萎んでしまう前の大きな青い花が一輪、そしてその周りに、母との約束のしるし、わたしが摘んできた淡いピンクのねむの花がぐるりと浮かべられた。
夏になり、ねむの花を見かけると、今でもわたしは、子どものころのようにつと手を伸ばしてしまう。