2006年
第11回入賞作品
佳作
「大吉記念」 藤澤 すみ子(54歳 女性)
初詣を終え、おみくじ売り場に向かった。吉がでますように、と念じながら一枚を取って開いた。大吉だ、よかった、とつい声が出てしまった。
誰かに聞かれなかったかしら、と振り返ると、後ろに白いダウンジャケット、ブルージーンズ姿の青年がいて、こちらを見ている。
私と同じぐらいの年齢だろうか。二十代前半に見える。肩をすくませながら目礼した。
「ぼくもひいていいですか」
私は、どうぞ、と横にずれた。
「大吉だ。ほら、見て」
彼は開いた紙片を私の目の前に差し出した。名前も知らない相手に自分のおみくじを見せてくれる気さくさに、心の糸が弾けた。
「続けて出るなんてこともあるんですね」
大吉を二枚並べて眺められるなんてめったにない。ご利益も二倍ありそうで気分がいい。
私の紙片には「良縁あり」とあり、彼の紙には「待ち人現る」とあった。
「よかったら、記念に交換しませんか」
思いがけない彼の提案に一瞬戸惑ったが、なかなかおもしろい考えだわ、と頷いた。
カーキ色のデイバッグを背負った彼は、学生最後の冬休みだから記念のひとり旅をしながら初詣をしている、と語った。口もとからこぼれる白い歯がきれいだ。茶色がかった瞳が私の心に足跡をつけた。
数分前に出会ったばかりなのに、どこかで会ったことがあるという思いが胸をよぎる。
「いい思い出になりました。ありがとう」
そう言って彼は、私が通って来たばかりの鳥居から出ていこうとした。
「あの、お名前は」
勇気を出して声をかけると、振り返って私を見つめる。いけないことを聞いてしまったか、と戸惑いながらも彼から視線が外せない。
「ふじさわ ゆうすけ。君は?」
ほっとして頬を緩めると、彼も目もとをやわらげ、首を傾げて私の顔をのぞきこんだ。
「とおやま すみこ」
「すみこさんか。いつかまた逢えるといいね」
本当にまた逢えるといいのに、という想いが湧き上がって言葉を繋げた。
「毎年、元日に、ここで初詣をするんです」
「来年の元日、僕もまたここに来てみるよ。大吉記念の約束だ」
彼は笑いながら手を挙げ、去っていった。
追いかけてもっといろいろなことを聞きたかった。どこから来たのかとか、なぜおみくじをひいていたのかとか。遠ざかる彼の姿を目で追い続けたが、人込みにまみれてとうとう見えなくなった。
電話番号ぐらい聞いておけばよかった。彼の面影や声がちらつく。顔を見ていた時間が短すぎたせいか、忘れたくないのに記憶の映像が少しずつ薄らいでいき、一期一会の切なさだけが深まっていく。
彼は地元の人間ではないらしい。旅の途中だとしたら、おそらく二度と逢うこともない。
一年も過ぎたら今日のことなんて忘れてしまうわ、とため息をつきながら、大吉のおみくじを眺めた。彼の面影が「待ち人現る」の文字に被さる。参拝客たちの玉砂利を踏む音が響く中、立ち止まる私の肩に何かが触れた。
すみこさん、という声に振り返ると、見覚えのあるカーキ色のデイバッグがあった。ドキリと心臓が波打った。彼だ。
「また逢えてよかった。おみくじに住所と電話番号を書いて、もういちど交換しませんか。さっきの約束と君のことが気にかかって」
互いに連絡先をメモし、それぞれが藤沢雄介、遠山すみ子、と書いて交換した。
「結局、元の持ち主に戻ったわけだね」
彼の笑顔がまぶしかった。正月の空は晴れ渡り、雲ひとつなかった。
その後、二人は結婚した。今もなお、大吉記念の約束を守り続け、毎年、元日には必ず一緒に初詣をしている。三十一年前の、夫と私の大切な思い出である。