第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2013年
第18回入賞作品

佳作

「約束の先」 池上 温喜(17歳 学生)

 私は世間で言う、バカだ。勉強が出来ないタイプのバカだ。テスト返しの時は先生に、「もう少し頑張りなさいよ~」と言われながらテストを返され、友だちには挨拶のかわりに「バカ」と言われる。そんなレベルのバカだ。
 そんな私が卑屈にならなかったのには訳がある。そう、両親だ。父と母は私が勉強を出来なくて、テストの点数が悪い、と言う理由で私を叱った事が一度もなかった。勉強しなさい!と言われた事もない。唯一言われた事があるのは、宿題やった?くらいで、それでもやはり、宿題やりなさい!ではないのだ。
 ある学期末に父とある約束をした。「今学期もありがとうございました。」と、成績表を父に渡した時だった。父は「ご苦労様。」と受け取ったあと、少し黙って「授業は難しい?」と聞いた。うん。と頷くと「そうか。そしたらレポートとかの提出物はちゃんと出すようにね。」と言った。私はその約束を片耳だけで聞いてまた、うん。と頷いた。”約束だよ“とか”絶対だよ“とか言う言葉は無かったけど、それは確かに私と父の約束だった。
 その次の学期末、父はキレた。理由はもうここまで読んだら分かるだろう。そう、その通り私が提出物を出していなかったからだ。国語、数学、社会、どの教科の提出物の欄を見てもB、または0/4とか、とりあえず提出物を出していない事は明白だった。私はその日も何も深い事は考えず「今学期もありがとうございました。」と成績表を渡した。父もいつも通り「ご苦労様。」とそれを受け取った。いつもと違ったのはそこからだ。父が私の名前を呼び、こっちへ来なさい、と言った。私は、え~ご飯食べたいな、とか思いつつ父の方へ行き膝を抱えて座った。そこで初めて私はいつもはない異変に気が付いた。あ、これは怒られるんだな、と直感的に思った。「この成績表。どういう事?」父の口調は予想に反して優しかった。どういう事、って?私が聞くと父は提出物の所の事、と言った。私は父の言葉で初めて思い出したのだ。父と約束を。私は狼狽えた。頭の中で言い訳たちがぐるぐるとまわり、その言い訳たちは意識もしていないのに勝手に口から飛び出す。父は私の言い訳が終わっても無言だった。私は逆ギレした。もういい!と言ってその場から立ち上がった。家中に父の怒号が響きわたったのはその時だった。ふざけるな!みたいな感じだったと思う。父を見ると手や顔が震えていて必死に怒りを慎めようとしているように見えた。私だって頑張ってる!と私も叫んだ。叫んだ途端、父が手を振りあげた。殴られる!と思った私は頭で手で抱えた。ガチャン!耳に届いたのは何かが壊れた音。視線を床に向けると転がっていたのは父のメガネだった。無残にもレンズがとれていてバラバラな状態だった。唖然としていると父が震える声で、約束したじゃないか、と呟いた。父は泣いていた。泣きながら、約束したじゃないか何で守らないんだ、と。私はようやく自分が父との約束を守らず破った事の重大さを知った。父がレンズとフレームを治しているのを見て情けなくなった。勿論、父に対してでなく自分に対してだ。ごめんなさい、小さく言うと父は、次はないからな、と言った。
 父との二度目の約束で気付いた事がある。勉強が出来ないのではなく、しようとしていない事。そもそも授業をちゃんと聞いていなかった事。私は挑戦すらしていなかった事。
 最近の父は遅くに帰って来てお仏壇に置いてある私と弟の成績表を見ては”これは誰の子だ“と泣く親バカっぷりだ。父は言う。勉強が出来ないのはどうでもいい。自分の出来る事をやろうとしているかどうかだ。あとは人柄さえあればいい、と。父が怒っていたのは提出物や約束に対してだけでなく、私が最初から諦めていた事にもあったのだ。
 父のその言葉を私は忘れない。これからもずっと、強烈に、私の中で生き続けるだろう。